fc2ブログ

白と黒

余り広くは知られていないが、「白醤油」と呼ばれる小麦を主体に造った醤油がある。愛知県碧南市が白醤油の名産地だが、興味深いことに、最も黒い醤油である「溜醤油」は、そのお隣の武豊町で造られている。

大豆と小麦と塩だけでつくった醤油を本醸造というが、本醸造の醤油は5種類(濃口、淡口、再仕込み、白、溜)しかない。そのうち二つが知多半島の付け根に集積している。加えて言えば、碧南は「三河みりん」でも知られ、武豊は豆味噌でも知られる。さらに、武豊と碧南はともにお酢で有名な半田市に隣接している(ミツカンの本社が半田にある)。もちろん日本酒もある。この半径10km程度の地域が、日本有数の醸造地帯になっている。

温暖な気候と寒冷な冬、豊富な地下水、知多湾の最奥に位置する水運の利、穀倉地帯と結ばれた運河・・・様々な条件が重なって醸造地帯になっているわけだが、それにしても、どうして日本で一番白い醤油と黒い醤油がこれほど隣接して存在するのかが気になっていた。

溜醤油や白醤油の来歴を文献で読んでもいまいちピンとこないので、万全のコロナ対策及び抗原検査で陰性を確かめてから、現地に足を運んだ。

溜醤油は、大豆と塩だけで仕込んだ濃厚な醤油である。一般的な濃口醤油が麹の全量に対して、1.3倍程度の塩水を加えるのに対して、溜醤油は、麹の半分~同量しか塩水を加えない。水分が少なく味噌状になっているので、攪拌はせずに、汲みかけと呼ばれる手法で、液体部分を循環させる。通常の濃口醤油が半年程度の熟成を経るのに対して、溜は約3年(二度の夏=土用)の熟成を経る。結果、漆黒で濃厚な旨味に優れた醤油となる。刺身や蕎麦汁にあう。愛知県では、溜醤油が一般的なので、醤油のことを「たまり」と呼ぶほどである。

一方の白醤油は、小麦を主体とした醤油であり、その名の通り、極めて白い。大豆を入れないとJAS規格上、醤油と呼べないために、1割程度の大豆を入れるが、日東醸造などは、小麦10割で造っている(醤油と名乗れないので、「白たまり」として製品化している)。白醤油は比較的新しい醤油で、1800年頃に麦麹でつくった金山寺味噌の溜が美味しかったので、これを製品化しようとしたことに由来するとされている。聞取り調査をした某社の工場長は、たまたま大豆が不作だったりして入手しづらかった時に苦肉の策で造ったんじゃないかなぁと思うんです、と言っていた。この種のことは文献に残りづらいので、何とも言い難いが、なかなか腑に落ちる説明ではある。この種のイノベーションは、だいたい、ピンチや制約から生まれる。

白醤油は、塩分濃度が約18%と高いが、糖分が多いので、出汁とよく合う。色がつかないため、素材本来の味と色を生かすことが得意で、京料理では特に重宝される。

このように全くと言っていいほど異なる二つの醤油が隣接した地域で造られていることをどう解釈すれば良いのか、と言う点である。何人かと話していても、「まぁ、もともと醸造の盛んな地域だったので・・・」とか、「不思議と言えば不思議ですけど、どうしてですかね・・・」といった感じである。

なんとなくモヤモヤしながら、港湾地帯を車で走っていたとき、ふと自分の問いの前提がおかしなことに気が付いた。「両極端なものが隣接することは不思議である」という前提である。もしかしたら、両極端な二つだからこそ隣接して共存できたのではないか。

つまり、尾張や三河では、誰もが「たまり」を醤油として使う。溜は旨味(窒素分)が強く、濃厚だが、それゆえ、素材の味を奪ってしまう。マグロの刺身のように脂分が多いものにはあうが、淡白な料理にはあわない。素材の味が溜の濃厚さに負けてしまうし、素材の色も黒くなる。これはちょっとした欠点である。一方、白醤油は、素材の色と味を引き立てる。原料が全く異なるので、競合しない。棲み分けが成立する。

もし、これが、溜醤油と再仕込み醤油、白醤油と淡口醤油のように特徴が似通ったものであれば、使途も原料も競合するので、共存が難しい。真逆だからこそ、お互い干渉せずにいられる。いうなれば、醤油と味噌という異なる調味料が同一の地域で醸されていることが当たり前なように、溜と白は、異なる調味料なのである(造り方も結構異なる)。

一つの尺度で見ようとすると、変なことが気になる。しかし、見方を変えれば、必然となる。日本では濃口醤油が全ての醤油出荷量の約8割を占める。溜と白は、それぞれ1%程度に過ぎない。

ところで、日本酒にしろワインにしろ、銘醸地はあまねく水運に優れた地域にある。陸送するのは不経済な商品のためである。こうした良港は、戦後、同様の理由で工業地帯にとってかわられた。この一年で多くの醤油蔵を訪問したが、こうした地域は、水運の良さゆえ、煙突からもくもくと煙を吐くような工場や殺風景な倉庫が居並ぶ地域と重複して、かつての雰囲気を残していないことが多い。重厚長大産業によって高度経済成長を果たした日本とはいえ、至極残念なことである。
スポンサーサイト



拾得とVOXhall

作業続きで眠れぬ夜。くるりの京都音博2020@拾得をyoutubeで聞いていたら、10年以上前の事をふと思い出した。

2008年10月、アコースティックの3ピースバンドとして活動していた僕らは、三条木屋町にあるVOXhallのライブコンテストで優勝して賞金5万円をもらった。大学生の頃にサークルの伝手で他大学の学園祭に呼ばれたりしたことはあったけど、音楽でお金を貰ったのは初めてだった。すると、京都のライブハウスから声がかかり始めた。京都MOJOと拾得が最初に声をかけてくれたと思う。しかし、既に博士課程に進学していた僕は研究が忙しくなり始めていて、メンバーも仕事優先の生活だったので、MOJOは断って、日程の都合があいそうな拾得だけ参加することになった。

年末年始を挟んで、京都の寒い冬が終わる頃、僕らはほとんど練習もできないまま、生煮えの新曲をいくつか披露した。お世辞にも良い演奏とは言えず、ただでさえ恥ずかしくて仕方ないのに、帰り際に出演料まで貰った。素人がライブをするのに、チケットの販売ノルマもなく出演料を貰えたのは後にも先にもこの時だけだったと思う。今思い出しても恥ずかしくなる、拾得の思い出。

最後にライブをしたのは、2009年の秋、嵯峨美大の学園祭だったか。そういえば、自分の結婚式でも一曲だけ余興でやったような・・・高校生の頃、将来は映画監督になりたいと言っていたのに、いつの間にか大学の教員になって、3人の子供が生まれて、忙しなく毎日が過ぎている。青春の詰まったVOXhallはどうなったかと思って、久しぶりに検索したら、コロナ禍で4月に閉店したという。

コンテストで優勝した前夜。僕らは、いつものようにVOXhallで練習した後、コンビニで買った缶ビール片手に鴨川の川べりで夜遅くまで飲んでいた。友人が誕生日だというので、日付が変わる頃に、僕らはハッピーバースデイと言いながら鴨川に飛び込んで、びちょびちょになりながら、友人の家に行き、そのまま朝まで飲んでいた。初秋の鴨川は冷たく、石がごろごろと痛くて、飛び込まなけりゃ良かったな、と言いながら、真っ暗な川べりを出町柳まで歩いて行った。

翌日は、夕方のリハーサル直前まで、二日酔いが酷くて、とても弾けそうにないと思った。本番では、友人のためにつくった「パレード」という曲を弾いて、その子が泣いていた。期せず賞金を貰えたので、聞きに来てくれた人たちを連れて、目の前のHUBに行って、盛大に飲んだ。乱暴で粗野だったが、みんな若かった。

感動の味をプロデュース

年明け。閑散とした大学構内を足早に歩いていたら、視野の端っこに「感動の味をプロデュースします」というチラシの文字が映った。流れ去る文字を網膜が処理すると同時に、「感動の味ってすごい自信だなぁ」、「感動の味ってなんだろう」、「最近、何かを食べて感動したことなんてあったっけ」という疑問が一挙にあふれ出し、渋滞した。

特に最後の問いは切実に感じられて、人生で最後に感動した味を思い出していた。この一年、「食の多様性とサステイナビリティ」というプロジェクトを進めていたので、食に関する本ばかり読んでいたし、日本中の醤油蔵をまわって色々な醤油を試して、なるほど、これは旨い!と感じたものもあったが、何かを食べて「感動する」という体験が思い出せない。

戦中戦後を知っている人々が、初めてティラミスを食べたときに、「世の中にこんなに旨いものがあるのかと感動した」という話や、初めてデパートでハンバーグを食べてその味に感動したから、それ以来、ずっとここのレストランのハンバーグを食べています、といった類の話をテレビで聞いたことはあるが、自分のことを振り返ると、「感動の味」をあまり思い出すことができない。しいていえば、父が亡くなる数カ月前に「ここの肉は本当に旨いから」と言って買ってきた高級なステーキ肉くらいである。あれは本当に旨かった。

思うに、僕らの世代は飽食の時代に生まれたため、幼いころから当たり前のように美味しいものを食べていたのだと思う。最近の子にいたっては、給食が美味しくないので、苦痛だという記事を見たこともある。確かに、コンビニのスウィーツ(いつからこんな呼び方をするようになっただろう)は一昔前のケーキ屋さんよりずっと美味しいし、冷凍食品のレベルも格段に向上している。それくらい、現代の世の中には美味しいものが溢れていて、戦中戦後にひもじい思いをしたことのある人とは感覚が根本的に異なってしまっている。

一緒に食卓を囲む以上、子供たちもプロシュートやパルミジャーノ・レッジャーノなど、一昔前では思いもよらなかったものを当たり前のように食べている。自分が子供の頃に食べたことのない贅沢品を与える際、自分はこの子たちの舌から未来の感動を奪っているのではないかと罪悪感にかられることすらある。子供に高級な寿司やチーズを与える必要はないのかもしれない。

最近では、食は、もはやお腹を満たすためでも、舌を満たすためでもなく、脳を満たすような方向に進んでいる。比較的余裕のある人たちは、オーガニックとかエシカルとかサステイナビリティといった、そういう基準で商品を選ぶようになっている(食はサステイナビリティの根幹的な課題なので、良い傾向である)。商品化された食品しか食べたことのない都市の子供たちは、田舎の新鮮な野菜や自分で釣った魚を食べることに感動している。

近年は環境保護や動物愛護のために、クリーンミート(培養肉)やフェイクミート(代替肉)への投資が加速しているが、そこで生じる感動は、デパートのハンバーグとは、まったく別種のものなのかもしれない。

翻って、あのチラシである。「感動の味」は、どうやら学食が提供するオードブルのデリバリーの宣伝文句だったようだ。学食のオードブルは普通に美味しいけど、「感動の味」はさすがに誇大広告じゃないかと一瞬思ったが、良く考えたら、もうすぐ修了式のシーズンである。

ああ、「感動の味」とは、修了式後のレセプションで供される食事のことか、とんだ早とちりだったと思いながら、長引くコロナ禍を想う。きたる3月も感動の味はお預けになってしまうのだろう。共食こそがホモ・サピエンスとしての根幹なのに、本当に多くの人が我慢強く耐えている。

罪と罰

3年ほど前のこと。子供たちに「さるかに合戦」の絵本を読んでいた。

内容は誰もが知っている通り、カニのおむすびをサルが欲しがって、サルが持っている柿の種と交換する。カニはせっせと水をやり、柿の木が大きくなり、実を付ける。しかし、カニは木に登れないので、サルに柿の実を取るようにお願いする。サルは美味しそうな柿を食べた挙句、まだ熟していない渋柿をカニに投げつけてカニは死んでしまい、生まれてきた子ガニたちが、親の仇を討つために、蜂や臼や栗や牛糞の力を借りてサルを成敗する内容である。

日本によくある勧善懲悪・仇討ちを美化した民話だが、僕はサルに対する「罰」が少しばかり強すぎるのではないかと思った。というのも、サルが渋柿をカニに投げつけた時、サルはカニを必ずしも殺す意図がなかったように見えるのに対して、子ガニ達は仲間と結託して、サルをいたぶりながら、強い殺意をもって殺しているからだ。

僕が読み聞かせた「さるかに合戦」では、サルの投げた渋柿がカニにあたってしまったとき、サルが「しまった」と言っている。それを額面通りに受け取るかは別として、この場合、サルの行為は過失致死罪に問われることになる。カニに依頼された柿の実を取ったのだから、投げた柿の実が本当に意図せずカニに当たったとすれば業務上過失致死罪で執行猶予付き判決の可能性もある。未必の故意が認定された場合は、殺人罪(殺蟹罪?)に問われるが、ナイフのように致死性の高い凶器を用いて、計画的な犯行に及んだとは言えないから、それでも、懲役10年程度だろうか。

一方、子ガニ達は仲間と結託してサルに度重なる傷害行為を加えながら、強い殺意をもって死に至らしめている。これでは、犯した罪に対して、罰が同等でなければならないとする罪刑均衡の原則や近代民主国家の大原則である罪刑法定主義にも反することになる(近代法は私刑を認めていない)。

更に言えば、この物語には二つの印象操作があると思う。一つは、サルの「意地悪さ」の誇張である。サルとカニがおにぎりと柿の種を交換したのは、双方の自由意志に基づいた、何ら問題の無い行為である。サルは交換を持ちかけた際に、暴力も脅迫もしていない。物語では、あたかもサルが騙したかのように伝えているが、サルが言った通り、柿はちゃんと成ったわけだし(粗悪品ではない)、カニも柿に魅力を感じて交換を受け入れている。それどころか、カニは、柿の木が早く芽を出し、実を付けないと「ちょんぎるぞ」と度重なる脅迫行為を働いているにも関わらず、この点は、看過されている。

もっとも、木に登ったサルが熟した柿を独り占めする一方で、カニには渋柿を選ぶという点には決定的な悪意が認められる。これは糾弾されてしかるべきだ。しかし、その後の「投げた柿がカニに当たって死んだ」というところは、多少切り離して考えられるべきなのに、映画でいうモンタージュ的解釈になって、「サルは悪意をもって渋柿を選んだ。そして、それを投げた。カニが死んだにも関わらず、サルはそれほど悪びれていない」という一連の映像を以て、サルがあたかも殺意をもってカニに渋柿を投げつけたかのように印象操作がされている。

もう一つ重要なのは、サルが強く大きく自由な存在なのに対して、カニが弱く小さく不自由な存在として描かれている点である。私たちは、弱く、小さく、不自由なものを助けたいという美徳を持っている。これ自体は良いことだ。一方、強く大きく自由な存在は悪者として描かれやすい。実際にそういうことも多いだろう。しかし、そのような典型をそのまま受け入れるのは、自らの頭で考えることを放棄することに等しい。僕は、そういう事態を憂慮する。現実には、同じくらいの割合で、良い人と悪い人がそれぞれのクラスターに存在するはずだ。高い徳を身に着けた政治家や金持ちもいれば、悪事を働く庶民も相応の割合でいるだろう。

どうして3年も経って、こんなことを思い出していたかといえば、昨今、罪に比して過度な罰を受けている有名人が多いように感じるからだ。寄ってたかってバッシングされ、メディアの格好の餌食になっている。人間は誰もが完璧ではないだろう。猿にも悪い所が多々あるが、陰湿さや計画性という点において、蟹も同様に怖いと思ってしまう本である。

落ち葉の季節

先週のこと。11月とは思えないポカポカ陽気の大学構内を歩いていると、秋風に押されて落ち葉がカラカラと転がっていく。その様子を眺めながら、ふと7年前のことが思い出された。

7年前の今日・・・長女の一歳の誕生日を祝うために鹿児島から双方の両親がやってきた。鹿児島では一歳の誕生日に一升の米から作った餅を踏ませる習慣がある。紅葉も見頃だろうから、東京観光がてら孫の誕生祝をしよう、ということだったと思う。

午後三時頃に最寄り駅に到着した父が、せっかくだから東大も見てみたいというので、タクシーを拾って柏キャンパスに行った。その日もよく晴れて暖かかったが、関東の冬は日没が早く、午後四時頃には日が大きく傾いて、冷たい風が吹き始めた。

僕らは閑散としたキャンパスを歩いた。その日もやはり風に押されて落葉がカラカラと転がって、吹き溜まりには大量の落葉が積もっていた。その様子を見た父が、「もったいないなぁ。畑にまいたらいい肥料になるのになぁ」と呟いた。その発想が何となく新鮮で、毎年この季節になると、父の「もったいないなぁ」という言葉を思い出す。僕が農業に関心を持つ前に父は逝ってしまったので、結局、何一つ父から農業のことを学べなかった。人並みの年齢まで生きていてくれたらもっと色々なことを話せただろう。そう思いながらカラカラと転がる今年の落葉を眺めていた。

あれから7年が経ち、娘は8歳になった。その翌日、子供たちと陽だまりの公園を歩きながら、7年前におじいちゃんが落葉を見て「もったいないなぁ。いい肥料になるのになぁ」って言ってたよ、という話をした。話しながら、何となく溜息をついて、懐かしいね・・・と言った。その時、娘がそっと手を握ってくれた。娘もこういう手の握り方ができるようになったんだと、その年月を思った。
プロフィール

toshi tanaka

Author:toshi tanaka
鹿児島県出身、
柏キャンパスで研究中。
よくいる場所、
鹿児島、沖縄、奄美

今月の一冊
幻のアフリカ納豆を追え
(高野秀行)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR