東北の旅

震災以降、東北に行きたいという気持ちが高まっていたけれど、なかなか時間が取れず、遅ればせながらこのGWに行ってきた。一つは震災の復興状況を見ること、もうひとつは純粋に東北を楽しもうというもの。

震災の復興状況は大船渡⇒陸前高田⇒気仙沼を中心に見た。あいにくこの日は記録的な豪雨と暴風で十分に歩くことができなかったが車窓からでも雰囲気はつかめた。テレビで見た一本松や流された船、瓦礫の山などを見るとようやく仮想と現実がリンクして、リアルに感じられた。

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一本松、遠景

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打ち上げられた船

気仙沼では復興屋台村に寄って、肉まんならぬフカヒレまんを食べながら地元の魚屋さんと話すことができた。防災や復興といったテーマはレジリエンスの観点からも環境学の重要な要素。今後、東北をどのように復興することができるかについて考えたいという思いも強まった。
(とはいえ体は一つなのでどの程度出来るかは分からない)

純粋な観光としては、平泉⇒松島⇒山寺⇒蔵王⇒角館に行ってきた。中でも中尊寺と山寺は好印象。金色堂は一見の価値があった。松島はまさに箱庭的な日本庭園を思わせる景観で、海が濁っていたこともあり、もうひとつの印象。

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芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだ山寺。

蔵王では有名な御釜を見に行くも天候に恵まれずエメラルドグリーンの火山湖を見ることはできなかった。ただ、火山湖は御釜に限らず日本全国、世界中にも多く見られるのにどうして蔵王のが特に有名なのだろうと思う次第。

蔵王温泉は強酸性の硫黄泉が気持ちよく、鄙びた雰囲気も悪くなかった。いたるところに温泉が湧き出る日本は、火山列島にあり、ゆえに地震も多く火山と共生していかなければならないのだと改めて感じた。

自然の脅威と恩恵、その双方と折り合いをつけながらやっていく中で、和を以て貴しと為す日本人的感性も生まれたのだろう。自らの権利を主張し不寛容な西洋と比して日本的な美意識は普遍性を持っているようにも思うが、世界情勢不穏で不確実性高まる現代社会、これいかに、といった感じ。

そして、角館。角館は明治以降の近代化の影響を受けなかったがゆえ、藩制の地割が残り、全国に名だたる美しい観光地となっている。ちょうどベルギーのブルージュがかつて水運で栄えたにも関わらず、その後衰退し、忘れ去られたがゆえ、かつての景観が残り世界遺産に登録されたことに似ている。

江戸期の日本の面影を伝えるのが小藩に過ぎなかった陸奥(みちのく)の小都市。思うに人々が世界遺産や重要文化財と崇めるものの多くは、経済性と一線を画し、歴史に翻弄され、忘れ去られ、また、周縁にあったに過ぎないという事実、または、(経済的観点から考えれば)頑迷な制度や因習、忘却に守られてきたという事実。

いかにもバブル期に出来たことを思わせる閑散とした秋田市ポートタワーのてっぺんから日本海に沈む夕日を眺めつつ、そういうことを考えた。自分という存在も歴史という壮大な絵巻の微細な一点に過ぎないということ。

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天災や流通、科学、産業、技術革新・・・これらに翻弄され人は生き都市は勃興する。政治や制度はこれらの中で比較的、私たちの手に委ねられているものである。

エネルギーの未来

少し前の話だが、日曜六時半からTBSで「世界遺産」の後に放送されている「夢の扉」という番組を見ていたら、紙ごみからバイオエタノールを抽出する京都市の取り組みを紹介していた。

廃棄物からエネルギーが生まれるという夢のような話。発想の転換が新鮮で食い入るように見てしまった。こういうアイディアは重要だし、ぜひ頑張ってほしい。

ところで、素人考えでいくつか疑問も生じた。第一に、紙ごみを選別して、溶かして、エタノールを作るまでにエネルギーとコストがかかり過ぎているのではないか?という点。最近は廃棄物発電や熱利用といった方法で、それなりにエネルギーが回収されているので、エタノールにするまでの過程にかかるエネルギーは逆にマイナスになってしまうのでは?という疑問。

例えば、各地で展開されている自然エネルギーの中でも一時期、間伐材などを使ったバイオマスが注目されたことがあったが、これは搬出や加工にコストとエネルギーがかかりすぎて、補助金がなければ運営できないし、あまり持続可能ではなかったように記憶している。
(今は技術革新や経営合理化などで変わっているかも)

次に、ゴミ削減の意欲を減らしてしまう可能性があるのでは?という懸念。かつて、ペットボトルはリサイクルするよりも燃えるゴミとして燃やしてしまった方がエコなのだということが話題になった。というのも、ダイオキシン問題などで、各自治体が超高温の焼却施設の設置を推進した結果、プラスチックごみは助燃材として燃やした方が、焼却施設の温度を一定に保つためのエネルギー投資を減らすことができ、エコだからという話だったと記憶している。ペットボトルを一度溶かして再生させるよりも、こちらの方がトータルでエネルギー消費も少ないという。

そんなことを知ってか、単にライフスタイルの変化か、ペットボトルの消費量は増加の一途で、あまりエコではない。ちょうど、原子力発電の運転を夜間に止めてしまうと逆にエネルギーがかかるので揚力発電もして、オール電化して、あたかも電気を使うことがエコなようにもてはやされたのに似ている。

翻って「廃棄物からエタノール」も、おそらく小規模ではコスト割れするから、集約しよう!という話になり、そうなると、それなりのインプットが必要になって、「紙ごみ歓迎」といった風潮ができてしまい、オフィスでやっと芽生えてきた環境意識が減退する、といったことも考えられないではない。

エネルギーも廃棄物も、「消費や排出を極力減らす」、ということがシンプルかつ効果的な至上命題と思う。とはいえ、こうしたチャレンジにトライ&エラーは不可欠だ。

個人的にはミドリムシやボツリオコッカスこそ未来のエネルギー!という感じがしているけれど、京都市の取り組みも注目してみたい。

その瞬間

36年ぶりにトキが野生で孵化したというニュースが列島を駆け巡った。以下は新潟日報のweb版から。

http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/34562.html

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22日午前6時ごろ、野生復帰ステーションに勤務する環境省佐渡自然保護官事務所の川瀬翼自然保護官が、親鳥の営巣地にビデオカメラを置きに行った。以前にこのペアの巣の近くに無人カメラを設置したが故障し、ふ化予定日に入った13日以降、巣の様子を確認できない状態が続いていたからだ。

川瀬保護官は、ペアに影響を与えないよう音を立てず短時間でビデオカメラ設置を済ませた。夕方にカメラを回収し、午後6時半ごろからステーションに戻り映像の解析を始めると、ひなの姿がくっきりと映っていた。その瞬間、川瀬保護官は「驚きで身が震えた」。一緒に見ていた職員らと手を取り合い喜んだ。
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「驚きで身が震えた」という表現がいい。人生は、こういう「魂が震える」瞬間を何回体験できるかだと思う。川瀬君は屋久島で調査していた時以来の友人で、日本の自然保護行政の未来を担う人材だと思っている。こういう運に巡り合えるのも彼らしい。

それにしても、自然や生態系は一度壊すとこうも再生が難しいものかと考えさせられる。

血液型占いと星座占い(先天性と後天性)

ある四月生まれの友人が嘆いていたのは、誕生日を友人たちに祝ってもらった記憶がないというもので、曰く、四月は入学・入社したてだったりクラス替えの直後なので、皆まだそんなに仲が良くなく、七月生まれあたりは夏休み前の解放感やら、皆が一番仲良くなっている時期なので、誕生日を祝ってもらえる確率が高いというものだった。

確か九月生まれの人もそんなことを言っていて、(大学では)九月は学校が休みであまり集まる機会がないので、十二月生まれあたりはクリスマスやら正月やら年の瀬の浮かれ気分もあって誕生日を祝ってもらえる確率が高いというものだった。

果たして、そうした傾向があるかは別として、僕は血液型占いよりは誕生日に基づいた星占いの方が当たっているような気がしている。

というのは、そもそも数百種類存在する血液型分類のうち、たった1つ(いわゆるABO型)を取り上げて、4種類しかない血液型の中で(しかも日本ではそのうち大多数をAとOが占める中で)、「Aっぽい」性格とか「Bっぽい」性格なんてことはありえないと思うからだ。事実、血液型占いは科学的根拠がないことが実証されているし、世界でも血液型に拘泥するのは、日本人くらいである(海外では自分の血液型を知らない人も多いし、日本人が自己紹介で血液型を言うと心底驚くだろう)。

もっとも、「血への崇拝」は、基本的に単一民族であった島国日本らいしもので、文化人類学的には興味深い。

ところで、僕は基本的に占いを信じないけれど、星座占いはどちらかといえば当たる確率が高いと思う。というのも、星座=生まれた季節がわかるわけで、その人の性格を特徴づける様々な傾向を生じさせる気がするからだ。

例えば、保育園に行けば、同じ学年の子でも四月生まれと早生まれでは、驚くほど成長に差があり、まるで違う学年の子のように見える。4-5月に何となくしっかりしたお兄ちゃん・お姉ちゃん気質が備わり、2-3月生まれに何となく、我が侭な弟・妹気質が備わる可能性はある。
(もちろん、海外では入学の時期が異なるが)

また、生まれた季節が穏やかな春なのか、暑さ真っ盛りで肌が蒸れる夏なのか、はたまた、指先がかじかむ真冬なのかでは、様々な感性が異なってくる気がする。初めて見る風景も異なるだろうし、豆まきや七夕のような行事を体験する時の肉体的精神的な齢は少なくとも5歳くらいまでは多少なりの影響を及ぼすだろう。

そして、何より、家族や友人に誕生日を祝ってもらう毎年その瞬間、太陽は短いのか長いのか、季節は暖かいのか寒いのか、植物は緑なのか秋色なのか、といった点を考慮すれば、おそらく誕生日が個々人の成長に与える影響は少なくない。

ちょうど生まれた地域によって性格に差がでる、いわゆる県民性や国民性、のように五月性、十月性のような性格が出てもおかしくは無い。

つまり、これは先天性と後天性の問題であって、血液型のように「人は生まれながらにしてその本性や運命が定められているのか」、それとも、星座のように「人は生まれた後の経験や環境でその本性や運命が定まるのか」という古典的な議論に繋がる。

血液型を信じる人は、「人は生まれながらにして本性が決まっている」と考え、星座占いを信じる人は、その後の経験や環境によって性格は変わると思っているのだろう。

こうした先天性vs後天性のような論争は枚挙にいとまがないし、宗教観や風土、民族性も関係するのだが、そうした話をまとめてみるのも面白いかもしれない。

で、結論を言えば、人間の性格は、多少なり血(=現代的に言えば遺伝子)で決まっている部分もあるだろうが、それよりも僕は人間は育ってきた環境や培った経験によって考え方や性格が左右されるものだと思う。

そして、付言するならば、「A型は○○、B型は○○」といった固定観念が独り歩きし、そうした環境で育った日本人は、俗にいう「A型らしさ」のようなものを身につける可能性はある。


つまり、あくまで後天的なものなのであり、問われるべきは「血」ではなく、「知」なのだろう。

Cool head, but Warm heart

札幌に来て1年経った。
春爛漫の京都を経ち、降り立った札幌の街はまだ寒く無機質に思えた。

四月五月は本州では躑躅が咲き新緑が輝く美しい季節だが、北海道の四月五月は天候不順で風が強く砂埃が舞う辛い季節である。冬の間に滑り止めとして大量に撒かれる砂礫が舞っているのだろう。目が痛い。

それでも雪が解け陽が長くなり木々が芽吹き始めているのを見ると、この北の大地にも確かに春が近付いているのだと実感する。
永い冬を経験したからこそ、春の喜びがある。

二年目は、クリタ水・環境科学振興財団、住友財団に加え、科研費の代表を務めることになった。着実に成果を残すことはもちろんだが、「頭ではなく心で」研究する姿勢を忘れないようにしたい。

Cool head, but Warm heart
熱意をエネルギーに代えて、邁進したい。

moerenuma
モエレ沼公園にて
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