fc2ブログ

「問題解決」の限界:サステイナビリティの未来

ユネスコのプロジェクトを任され、報告書を書いている。その名も"Standard Framework for Biosphere Reserve Management informed by Sustainability Science"(サステイナビリティ学に基づくBR管理の標準枠組み)。サステイナビリティ学は、一般的にproblem-drivenな性格を持つとされ、「問題解決」のために、trans-disciplinaryやsystem thinking、partnershipといった志向を持つとされる。過去のユネスコ報告書では、サステイナビリティ学が"problem driven, solution-oriented"であることが過度に強調されている。しかし、problem-drivenであることは、サステイナビリティ学が生まれた端緒であったとしても(例えば、気候変動や生物多様性の損失、貧困といった課題に対処する学融合志向の分野として誕生した)、それが、サステイナビリティ学の未来であるとは思えない。

問題解決(つまり、マイナスをゼロにすること)ばかり言っていたら、私たちは問題解決以上に重要なこと、つまり、ゼロをプラスにかえていくことに鈍感になってしまう。当然、先進国と発展途上国では、優先順位が異なるが、少なくとも、先進国はすでに物質的に充足して久しく、重要なのは、いかに今ある富を配分し、人々が明日に希望を持って生きることができるかである。「問題」が個人なり社会の主観を反映したものであり、その多くが、外圧や習慣、"啓蒙"で醸成されるとすれば(例えば、現代でこそパワハラやDVは「問題」であるが、半世紀前には「問題」とは考えられなかったし、仇討ちは今でこそ法に背くがかつては美徳ですらあった)、人々を啓蒙して、あれも問題である、これも問題である、とゲンナリさせて、責任感や義務感を相互に負わせるよりも、明るい未来にするには、どうすればよいのか、という前向きな考え方から出発することも重要だ。

その際、problemが何であるかは二次的な問題であり、むしろ、10年後、50年後に私たちはどのような未来をつくりたいのか、という未来志向の議論から始めるべきだ(もちろん、その結果として「問題」が浮き彫りになることもあるだろう。しかし、その順番は重要だ)。そういう意味で、サステイナビリティ学はfuture-driven, design-orientedな学問分野という性質を色濃く持っており、その点を強化していく必要がある(むろん、問題解決と未来志向は相互に矛盾する概念ではない)。

例えば、気候変動には莫大な研究予算が投じられ、あれやこれやのモデリングがなされているが、重要なことは、「私たちはどのように生きるべきか」という規範性であったり、「私たちはどのように生きたいのか」という希望に関する話であり、選択の問題である。その際に重要となるのは、哲学や歴史といった人文知なり教養であり、社会応用的であることをサステイナビリティの核とすれば、公共政策や経営学も重要な役割を負うだろう。しかし、そのようなアプローチは極めて限られている。

人間に関する問題において、緻密な計算や「定量化」に基づく損得勘定のような在り方で、「こうあるべきだ」と言い放つのは、AIくらいにしてほしい。人間は自らの歩むべき道を自らで決める程度の知恵と主体性は持っているはずだ。「数字」が幅を利かせる時代に真っ向から対峙できる文明論としてサステイナビリティという概念が存在していると信じたい。


スポンサーサイト



プロフィール

toshi tanaka

Author:toshi tanaka
鹿児島県出身、
伊都キャンパスで研究中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR